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2019年2月28日 19:19 宍戸
魂を入れる


人生で忘れられない先生の一人に藝大の六角鬼丈先生がいる。藝大の名誉教授で、代表作に東京武道館がある著名な建築家だ。

高校を卒業して経済学部に進学したものの、やりたいことが見つからず進路に悩んでいた大学2年の冬、本屋でふと手に取った新建築という建築雑誌を見て目が覚めた。自分が本当にやりたかったのはものづくりだった。進路を変更することに迷いはなかった。工学部への学士入学や大学院進学など他に近道になりそうな選択肢がある中であえて藝大を目指すことにしたのは、ある建築本の中で六角先生の論説を読んだことがきっかけだった。

当時の藝大建築科の入試は二段階方式だった。まずセンター試験と大学が実施する「空間構成(※1)」という実技試験により、受験生約150人が50人くらいに絞られる。その後「建築写生(※2)」と「造形」という実技試験によって、最終15人が選ばれていた。

(※1)空間構成…図や文章から読み取った立体を鉛筆デッサンで表現する実技試験科目。
(※2)建築写生…実際の建築物を透明水彩絵具で描く実技試験科目。どの建築物を描きに行くかは試験当日に分かる。

建築写生と造形はそれぞれ一日がかりの試験だったが、特に造形は合否を左右する試験と言われていた。紙や棒などの材料が与えられ、文字通り立体を工作するというものだが、立体を“立てる”こと自体が難しかった。というのも条件が厳しい。大体毎年、共通していたのが大きさや接地に関する条件で、幅1m以上の大きな立体を、コンクリートブロックなどの小さな土台の上に、“机面に接地しないように”立てなければならなかった。

要はバランスを取らないと崩れてしまう。かと言って無難なものを作っても受からない。手先の器用さに加えて、実現可能かつ面白いアイディアを構想する力が求められた。難易度にもよるが、立体が“立つ”人が半分くらいで、立たなければその時点でアウトという厳しいものだった。

その造形試験の終盤、最後の仕上げをしていた時に突如として眼前に現れたのが六角さん(藝大では教授をさん付けで呼んでいた)だった。六角鬼丈というインパクトのある名前と、写真で見ていた物憂げな表情の通り、独特なオーラと異彩を放っていた。六角さんは僕のところで足を止め、手元の資料と完成間近の作品に目をやりながらしばらく僕の様子を見ていた。ずいぶん長い時間に感じた。畏れのような緊張感と、建築を志すきっかけを作ってくれた人に見てもらえたという高揚感を今も昨日のことのように覚えている。

運良く合格できたものの、在学中の僕は優秀というには程遠かった。かといって努力する真面目さもなければ、教官にアドバイスを求めにいく謙虚さもなく、4年で卒業できれば上出来という学生生活を過ごしていた。したがって教授に名前を覚えられることもなかった。

しかし六角さんだけは違った。大学生活も過半が過ぎた頃、六角さんが研究室の助手づてに一度メッセージをくれたことがあった。「君は良いものを持っているからがんばりなさい」と。大変おこがましいが、お名前とは裏腹にそんな学生にも気をかけてくれる心優しい先生だった。

その六角さんが亡くなったと、先日同期から知らせを聞いた時は虚しさがこみ上げた。一方的に慕うだけで、先生の記事を読んで藝大を志したことも、励ましへの感謝の気持ちも伝えなかったことを後悔していた。ついにそれを言えないままだった。

六角さんは建築を作る時に一番大切なのは何かという問いに「魂を入れられるかどうか」とお答えになっていた。いかにも六角さんらしいお言葉で、自分が同じことを言うのは憚られるが、その通りだと思っている。

美術の一分野として建築をスタートした僕たちにとって、仕事のスタンスは小中学時代に図工や美術の時間に作品づくりに没頭したのとあまり変わらない。仕事だからお金や時間のことも当然考えるが、それよりも良いものを作りたいという思いのほうが遥かに強い。違うのはその先に、自分の仕事が自己満足に終わらず、世の中を豊かにするものであってほしいという思いがあることだ。

建築の命は長い。今は木造住宅でも100年とも言われている。自分が死んだ後も、次の世代へと引き継がれ、街や自然にあり続けるものだ。そうであるならば、目の前の施主はもちろん、次の世代にも愛され、社会にも受け入れられるものであってほしい。

ではこの時、作り手の思いが感じられないものが100年先の人にも受け入れてもらえるだろうか。そうは思わない。最後まで愛され続けられる建築は結局、人間の知恵と技が込められている建築だろう。建築に“魂を入れる”意味はそういうことだと理解している。

簡単なことではない。施主と思いを共有し、施工者の協力も必要だ。六角さんは建築家は孤独な仕事だとも言っていた。だからこそぶれない信念が必要だ。それを六角さんは見事に一言で教えてくれた。ずっと遠い存在だったが、今なお六角さんは自分に影響を与え続けている。